小林工業の歩み
KOBAYASHI's
HISTORY
KOBAYASHI's
HISTORY
創 業
~ここから全てが始まった~
1954
1954年
(昭和29年)
(昭和29年)
日本楽器製造株式会社 (現ヤマハ株式会社) オートバイYA-1型用のブレーキの
カムレバーとカムシャフトの加工を受注。
これを機に合資会社小林鉄工所はオートバイ部品の加工に着手。
1956年
(昭和31年)
(昭和31年)
万能精密歯切盤「ミクロン」
歯切加工の専門工場として、小林省二の自宅 (浜松市相生町) 内に幸和製作所を設立。省二が東京に出向き、中古の歯切盤 (NM-130型・万能精密歯切盤。通称「ミクロン」) を97万円で購入。当時、幸和製作所は、浜松地域においてミクロン歯切盤導入の 先駆けであった。
1958年
(昭和33年)
(昭和33年)
小林鉄工所中島工場では、楽器部品を製造していたが、古旋盤を改造して
ブローチ加工を始める。当時、浜松地域でブローチ加工技術を有する会社は希少で、
多くの受注を抱え多忙を極めた。
また、幸和製作所の歯切加工と合わせ、歯切りとブローチの両方ができることが強みとなり、 発注先から重宝がられることとなった。
なお、この年の後半、新たにブローチ盤を購入し、生産性の向上を図った。
また、幸和製作所の歯切加工と合わせ、歯切りとブローチの両方ができることが強みとなり、 発注先から重宝がられることとなった。
なお、この年の後半、新たにブローチ盤を購入し、生産性の向上を図った。
会社設立
~新たなスタート~
1959
1959年
(昭和34年)
(昭和34年)
フル稼働のヤマハ発動機(株)
生産工程(浜名工場)
生産工程(浜名工場)
さらに幸和製作所の社名を変更し、 資本金20万円で有限会社小林精機製作所を設立。 ヤマハ発動機(株)より協力工場の認定を受ける。
1960年
(昭和35年)
(昭和35年)
浜松市竜禅寺町に工場用地を購入。
この年の9月に小林精機製作所の資本金を100万円に増資。
この年の9月に小林精機製作所の資本金を100万円に増資。
1961年
(昭和36年)
(昭和36年)
竜禅寺町の工場用地に新工場を建設。
まず小林精機製作所が、続いて小林製作所が移転した。
まず小林精機製作所が、続いて小林製作所が移転した。
1964年
(昭和39年)
(昭和39年)
それまで鉄板で作っていたオルガンキーの取付金具をアルミ製に。
また、この年からピアノのセンターレールの生産も開始した。
また、この年からピアノのセンターレールの生産も開始した。
業務拡大
~KOBAYASHIの新たな挑戦~
1965
1965年
(昭和40年)
(昭和40年)
寺脇町に完成した
小林精機製作所寺脇南工場
これにより、1本につき約20分を要していたオルガン脚の加工が、
2分で行えるようになった。これが日本楽器製造における電気オルガンの 増産に大いに貢献した。
この後、中学校を卒業したばかりの新入社員でも入社翌日から即戦力として 作業に従事できるよう、機械や治工具の改良に努めた。
1966年
(昭和41年)
(昭和41年)
小林精機製作所に転造盤を導入。
歯切盤で40秒から2分を要していた作業が、わずか2秒で完了した。
9月には小林精機製作所と小林製作所の製造部門を統合し、
資本金800万円で小林工業株式会社を設立。
歯切盤で40秒から2分を要していた作業が、わずか2秒で完了した。
1968年
(昭和43年)
(昭和43年)
ヤマハ発動機がスノーモビルを発売。
当社ではスキーとハンドルのつなぎ部分にあたるコラムスキーの加工を行った。
当社ではスキーとハンドルのつなぎ部分にあたるコラムスキーの加工を行った。
1970年
(昭和45年)
(昭和45年)
ヤマハ発動機磐田工場にオートバイ組立工場が完成。
この頃から同社におけるオートバイの製造が急増した。協力工場である当社でも、 こうした動きに合わせて早急な設備投資を迫られた。
この頃から同社におけるオートバイの製造が急増した。協力工場である当社でも、 こうした動きに合わせて早急な設備投資を迫られた。
1971年
(昭和46年)
(昭和46年)
温水ボイラーの部品を製造、日本楽器製造へ納入。
なお、同社でこの年、温水ボイラーとともに、洗面化粧台の発売も開始し、
さらなる多角化に乗り出している。
一方、ヤマハ発動機でも、2月にヤマハパーツセンターを竣工、さらに12月には 中瀬工場を稼動するなど、一層の増産に向けて着々と体制が整えられていた。
一方、ヤマハ発動機でも、2月にヤマハパーツセンターを竣工、さらに12月には 中瀬工場を稼動するなど、一層の増産に向けて着々と体制が整えられていた。
1975年
(昭和50年)
(昭和50年)
日本楽器製造が昭和32年以降いったん中止していた家具の製造を再開し、
その第1弾として、ユニット家具ならびに単品脚物家具を発売。
家具およびテーブル脚の製造を当社が受注した。
なお、このユニット家具は、買い増しができるというメリットと優れた機能性から 当初の予想を大きく上回る売れ行きを示した。
なお、このユニット家具は、買い増しができるというメリットと優れた機能性から 当初の予想を大きく上回る売れ行きを示した。
1976年
(昭和51年)
(昭和51年)
日本楽器製造がエレクトリックグランドピアノ(CP-70、80)を発売。
それに先立ち、当社ではCP-70のスタンドを受注。
それに先立ち、当社ではCP-70のスタンドを受注。
1977年
(昭和52年)
(昭和52年)
寺脇工場に倉庫を建設。
次の時代へ
~大きな転機を向え、大きく飛躍する~
1980
1980年
(昭和55年)
(昭和55年)
社長就任当時の小林正和
1981年
(昭和56年)
(昭和56年)
QC活動「Go-Up活動」を開始。職場ごとにグループをつくって活動に取り組む。
1982年
(昭和57年)
(昭和57年)
コンピュータの導入により、最初の生産管理システムを開発。
1984年
(昭和59年)
(昭和59年)
日本コロムビア(株)と取り引きを開始。
1985年
(昭和60年)
(昭和60年)
3月、ソフトウェア開発を目的とした株式会社エンテックを設立。
7月、日本楽器製造がクラビノーバCVPシリーズを発売。同社では昭和57年から クラビノーバの生産に着手しており、このCVPシリーズはピアノ、 エレクトーンに続く"第三の楽器"として期待されていたクラビノーバ普及の、 大きな推進力となった。
そして11月にはクラビノーバCLPシリーズも発売、当社ではグラビノーバの 脚の製造を行った。
7月、日本楽器製造がクラビノーバCVPシリーズを発売。同社では昭和57年から クラビノーバの生産に着手しており、このCVPシリーズはピアノ、 エレクトーンに続く"第三の楽器"として期待されていたクラビノーバ普及の、 大きな推進力となった。
そして11月にはクラビノーバCLPシリーズも発売、当社ではグラビノーバの 脚の製造を行った。
1987年
(昭和62年)
(昭和62年)
この年発売されたエレクトーンHX。ユニット方式の採用により、
エレクトーンの世界をさらに広げた
1988年
(昭和63年)
(昭和63年)
竜禅寺北工場、南陽部品倉庫を新設し、組立工程の拡充を図った。
5月にはCAD設計システムを導入。設計の高度化・効率化を図った。
5月にはCAD設計システムを導入。設計の高度化・効率化を図った。
1989年
(平成元年)
(平成元年)
プレス金型用ダイハイト調整機「DA-100M」「DA-800M」を開発。
各工場のオンライン化により、トータル生産管理システムを確立。
各工場のオンライン化により、トータル生産管理システムを確立。
1990年
(平成2年)
(平成2年)
東芝乾燥機部品の生産を受注。
1991年
(平成3年)
(平成3年)
会社のコーポレートカラーをイエローとし、ユニフォームを刷新した。
1993年
(平成5年)
(平成5年)
竜禅寺新工場を建設。
入り口に幸和製作所が創業当時導入した万能精密歯切盤を展示。
入り口に幸和製作所が創業当時導入した万能精密歯切盤を展示。
1994年
(平成6年)
(平成6年)
プレス用ダイハイト調整器
6月7日付で特許庁の特許原簿に登録された。
世界へ
~世界に目を向け、大きく羽ばたく~
1996
1996年
(平成8年)
(平成8年)
KOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD.にて。右から二人目が正和社長
1997年
(平成9年)
(平成9年)
4月にヤマハ(株)のリビングキッチン部門と取り引きを開始。
キッチン椅子ならびにダストワゴンの生産に着手。
ヤマハ(株)より協力会社優秀賞を受賞。
1998年
(平成10年)
(平成10年)
7月に竜洋工場の軸物加工を統合し、寺脇工場より研磨加工設備を移設した。
10月にはKOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD.の資本金を3,150万バーツに増資。
ヤマハ(株)より協力会社優秀賞を受賞。
10月にはKOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD.の資本金を3,150万バーツに増資。
2001年
(平成13年)
(平成13年)
8月にKOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD.の新工場完成。
(敷地面積7,200m2/建物面積1,500m2)
(敷地面積7,200m2/建物面積1,500m2)
2002年
(平成14年)
(平成14年)
YAMAHA MOTOR MANUFACTURING CORPORTION OF AMERICAとの取引開始。
2004年
(平成16年)
(平成16年)
3月には、インドネシアにPT.KOBAYASHI AUTOPARTS INDONESIAを設立。
10月より生産を開始する。
4月、楽器部品部門を分社化。(株)イシイ システム事業部と統合し、
(株)ケー・アイ・エスを設立。
KOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD.の工場増築。(計2,266m2となる)
10月より生産を開始する。
(株)ケー・アイ・エスを設立。
2005年
(平成17年)
(平成17年)
4月、KOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD.の増築。(計計4,090m2となる)
8月には、(株)ケー・アイ・エス生産部門を豊岡工場へ集約。
これにより小林工業は寺脇工場・磐田工場・竜禅寺工場の3生産拠点体制となる。
これにより小林工業は寺脇工場・磐田工場・竜禅寺工場の3生産拠点体制となる。
グループ
~さらなる挑戦に向けて~
2006
2006年
(平成18年)
(平成18年)
グループとしての企業展開を開始。
2007年
(平成19年)
(平成19年)
12月、磐田工場拡張。
2013年
(平成25年)
(平成25年)
9月、KOBAYASHI AUTOPARTS (THAILAND)LTD. 第二工場 完成。
2015年
(平成27年)
(平成27年)
12月、磐田工場に太陽光発電設備設置、運転開始。
2022年
(令和4年)
(令和4年)
1月、寺脇工場に自己消費型太陽光発電設備設置、運転開始。
4月、小林信弘 代表取締役社長就任。